第44回全日本学童マクドナルド・トーナメントほか、夏の上部3大会の代表を決める群馬県予選会。3位決定戦は上川ジャガーズ(前橋市)が、さくらJBC富岡(富岡市)を5回コールドで下し、徳島県開催の阿波おどりカップ2024出場を決めた。さくらJBCは第47回関東学童へ。上部大会にもふさわしい両軍の横顔を、試合評と併せてお届けしよう。
※記録は編集部
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(写真&文=大久保克哉)
⇧3位=阿波おどりカップ2024へ上川ジャガーズ
⇩4位=第47回関東学童へさくらJBC富岡
■3位決定戦
◇5月4日 ◇上毛新聞敷島球場
さくら 00401=5
上 川 24411x=12
※5回コールド
【さ】風間、大澤翔、新井-新井、大澤翔
【上】大谷陽、武居敦-砂賀
本塁打/滝沢(上)、武居敦(上)
前日に力投したエース・矢端(下)と同じく、上川の先発・大谷陽(上)は抜き球なしで打者に向かっていった
オール速球勝負
ブレない芯があった。
先発のマウンドに立った上川ジャガースの長身左腕・大谷陽汰は、90㎞台後半の速球で開始から押していった。一死後、さくらJBC富岡の長岡慶之輔(4年)に中前打を許したものの、後続2人をフライアウトに。初回に投じた11球のうち、意図して球速を落としたスローボールは1球もなかった。つまり、オールストレート勝負だ。
これは前日の準決勝で先発し、4回無失点と好投したエース右腕・矢端伶有も同じだった。自己最速104㎞の更新はならなかったが、90㎞台後半から時に100㎞超のストレート一本で、相手打線をねじ伏せていった。
「以前に緩いボールを投げて打たれたときに、『緩急でやられたら後悔するぞ!』とコーチからも言われて。伸びのあるきれいなボールを投げるのが自分の持ち味で、そのために毎日キャッチボールをして冬場は下半身を鍛えてきました」(矢端)
上川で投手陣を指導するのは背番号29の堤啓コーチ(=写真上左)。「小学生のうちは回転のいいボールを!」との理念を、野手出身の石原武士監督も尊重しているという。同監督が語る。
「抜いたボールも使えば、もっと楽に投げられると思うんですよ。でも、小学生はゴールではなくてスタート。中高で変化球を覚えれば、かわせるし…」
要するに、目先のアウトや勝利にだけ固執しているベンチではない、ということだ。
さくらJBCの二番・長岡慶は4年生ながら2安打。コースに逆らわない素直なスイングが光った
敵軍の将・加藤隆範監督の教えにも、近いものがある。一塁への全力走など、誰でもやれることを全力でやり切ることを、勝利以前に求めている。
2ランスクイズも
前日の準決勝に続いて先発した6年女子、風間梅が与四球に始まり初回につかまった。上川の二番・小池怜也に先制三塁打を許し、内野ゴロで2点目を献上してしまう。
前日の絵も浮かぶスタートとなったが、ベンチは泰然自若。「風間からキャプテンの大澤(一翔)につなぐのが、ウチの継投パターン。これで勝ち上がってきましたので」(加藤監督)。じっと見守る指揮官の信頼に応えるように、風間は2失点後、二塁打を1本許したが追加点は与えなかった。
上川は1回に二番・小池が先制三塁打(上)。2回には砂賀主将(中央)、横堀なつ(下)の連続適時二塁打などでリードを6点に
さくらJBCは2回裏、無死一塁から大澤主将がマウンドへ。二死を奪ってからのタイムリーエラーを境に、失点を重ねてしまった。しかし、与四死球はゼロのまま。どんなにリードを広げられようと、うつむくことなく右腕を振り続けた。
より称えるべきは、上川打線だ。あと1本が出ずに逆転負けした前日(準決勝)の悪夢を吹き飛ばすかのように、打ちまくった。
さくらJBCは大差ビハインドでも、切れずに戦い抜いた(上)。上川は3回に滝沢が左中間へランニングの2ラン(中央)、5回には谷内のテキサス安打(下)で7点差となり、コールドが成立
2回裏に3点リードとしてなお、二死一、三塁から三番・砂賀海輝主将と四番の女子・横堀なつが連続二塁打で6対0に。4点を返された直後の3回裏は、六番・武居敦人の中越え三塁打に、八番・滝沢日々輝の左中間2ラン(ランニング)、二番・小池の2点タイムリーなどで4点。さらに4回は武居敦が左越えのランニングホームランで11点目が入る。そして5回裏、一死二、三塁から五番・谷内駿斗のテキサス安打で7点差となり、試合は決着した。
敗れたさくらJBCも、防戦一方というわけではなかった。
3回には大澤主将の左越え三塁打を足掛かりに、4得点で2点差に詰め寄った。一死満塁から五番・須藤奨太が押し出し四球を選ぶと、続く4年生・高宮海音の左越え二塁打で2得点。さらにまた4年生の大河原蓮斗が、スクイズバントを決めてみせた。だが、ここで2人目の走者(二走)の本塁生還を1-3-2の転送で阻んだ上川の守備が、一枚上手だった。
さくらJBCは3回表、大澤主将の三塁打(上)から好機を広げ、4年生の高宮の左越え二塁打(下)などで4点を返した
―Pickup Team❶―
20年超の指揮官と、チーム最高成績を次々塗り替え
[群馬/前橋市]上川ジャガーズ
勝利が見えてきた矢先に、魔の1イニングが待っていた。前日の準決勝、5回裏の守りだ。
3連続四球に野手の投げミスで1対1の同点に。なお二死満塁から、走者一掃の三塁打を浴びて1対4と逆転されてしまう。直後の最終6回表は、あっさりと3者凡退に終わった。
昨秋の新人戦に3月開幕の選抜少年大会と、県大会2連覇中だった上川ジャガーズは、この全日本学童の県予選もV候補の筆頭だった。しかし、準決勝で敗退。尾を引きそうな負け方だったが、翌日の3位決定戦は打線が奮起し、15安打12得点で試合を終始リードした。
そして5回表には、背番号6の武居敦人がマウンドへ。前日の魔の1イニングで登板した右腕だ。7点リードしていたとはいえ、心理面のダメージも考慮して登板回避という考えもあったかもしれない。だが、石原武士監督に迷いはなかったという。
「勝ち続けながらずっと投げてきたエースの矢端(伶有)を休ませたかったのと、左腕の大谷(陽汰=先発)を試したかったこともあるし、武居のリリーフも予定通り。武居は気持ちがやさしい子ですけど、野球を長くやっていれば昨日みたいなこともある。抑えたり打たれたりしながら成長してくれればいいし、ウチもまだまだ大会や試合があるので、武居にも投げてもわらないと困りますからね」
「昨日負けた後は、あえて何も言いませんでした。ずっと勝ち続けてきて、子どもたちはプレッシャーもあっただろうし、打てそうで打てないとか、負けるときはあんなものです」(石原監督)
挽回を期したマウンド。いきなりクリーンヒットされた武居はなお、テキサス安打に与四球で一死満塁のピンチを招いた。前日に似た展開だったが、所作や投じるボールに迷いは感じられなかった。ある意味、吹っ切れた様子で右腕を振り続け、内野ゴロで1点を失ったのみで5回表を切り抜けた。
「最初にマウンドに行くときに少しは怖さもありましたけど、やっているのは自分だけじゃなくてチーム全体で戦っているので。だから自分がどうこうじゃなく、チームを勝たせるために全力投球しようと思っていました」
悪夢を自ら払拭してみせた武居敦には、ピカイチの武器がある。50m走は7秒フラット、100m走は13秒94という自己ベストで、県の陸上大会で8位という健脚だ。3位決定戦ではその武器も存分に生かし、4回には左越えのランニングホームランを打っている。
「これからもチームのために、できるだけ打ったり、抑えたり。守備(遊撃と右翼)でもエラーをなくしていきたいです」
救援した5回表を1失点で切り抜けた武居敦は淡々とベンチへ(上)。直前の4回裏には左越えのランニングソロホームラン(下)。猛烈な快足を披露した
極端にグリップの位置が低い武居敦の構えが象徴するように、各打者の打ち方はそれぞれ。でありながら、3位決定戦では逆方向を意図したようなスイングとヒットが多かった。
「特にそういう指示はしてませんけど、昨日の反省(好機でことごとく凡退)もあって、本人たちが考えてやってくれたんだと思います」(石原監督)
魂がこもった武居敦の投球に加えて、打線のつながりも復活。試合後の指揮官は安堵したように柔和な顔をしていた。
「自分でもここまで長く監督をやると思ってなくて、3人の息子たちもお世話になったので2、3年は恩返ししようというつもりで引き受けたんですけど、ズルズルとそのまま…」
監督歴は20年超、コーチ時代も含めると学童の指導歴は四半世紀になるという。「最近は『もういらない』なんて言われる監督もいたりする中で、ウチはみんなが協力して後押ししてくれるのでありがたい。幸せですね」
準決勝敗退後は、指揮官も選手も話せる状態ではなかったが、1日で見事に立ち直った
昨秋の新人戦は初優勝。この全日本学童予選会は県ベスト8という過去最高の記録を乗り越えた。また3位となったことで、8月初旬に徳島県開催の阿波おどりカップ2024への出場が決まった。
「今大会はちょっと、変なエラーやミスが目立ったので、走塁を含めてそのへんをもう1回、見直して練習したいと思います」
県大会3連覇も全日本学童初出場もならなかった。けれども、チームと各面々が手に入れたものは同等か、それ以上に尊いものなのかもしれない。
―Pickup Team❷―
息子がいない指導陣の下、初の関東大会へ
[群馬/富岡市]さくらJBC富岡
満51歳。指導歴は30年近く、背番号30をつけたのは10年ほど前だという。さくらJBC富岡の加藤隆範監督は、4月の選抜少年大会でチームを初めて県4強に導いた。
6年生は7人。スタメンでは4年生トリオと、主将の弟・大澤一珂(5年)が活躍する若いチーム。今大会は準決勝から2試合続けてコールド負けも、やはり過去最高の「ベスト8」の壁を超えてきた。
準決勝では三番・新井優成が先制タイムリー。3位決定戦では下級生の下位打線で2ランスクイズを敢行したり、最終回には連打から1点をもぎ取るなど、引き出しの多さと粘り強さが垣間見えた。
それを促していたのは、泰然自若の指揮官だった。「必ずチャンスが来るから、我慢だよ!」「三塁までは行かせてもいい。ホームさえ踏ませなければいいんだから!」と、落ち着いてナインを励ます姿が印象的だった。
「私も昔はいろいろキツく言っている指導者でした。今でもついつい、キツい言い方になっちゃうときもあるので、褒めて育てる、ということを勉強しているところです」
謙虚に語る指揮官は、生まれも育ちも富岡市。社会人になっても主に捕手として軟式でプレーしている。学童の指導者になった当時は、結婚したばかり。「息子が生まれたら、どうせやるんだから!」と、旧知の面々に口説かれてコーチを始めたものの、後に授かった我が子は娘だった。
「娘でも野球をやらせようと思ったんですけど結局、やらずに成人しました。実は私を誘っていただいた指導者の方々も娘ばかりで、チームに息子がいない指導陣でここまで来ています、不思議ですけど」
チームはこの3月まで「全一ノ宮少年野球」として活動。かつては2チームを編成した時期もあるが、少子化の波には抗えず。母体の小学校が来年度から統廃合で「さくら小」となることから、先駆けて「さくらJBC富岡」と新年度に改称。選手は2年生の長岡龍之輔を入れて総勢16人。それでも今大会4位に入ったことで、関東学童大会出場が決まった。
「最後まで全力で楽しむ…」。大澤主将は開会式での選手宣誓通り、若い内野陣にミスが出ても腐らずに熱投(写真上右端)。三塁手の4年生・大河原(下)は果敢で軽快な動きが光った
「全力疾走とか挨拶は、強い弱いに関係なくできることだよね」
当たり前を当たり前にやるという指揮官の教えが、学年に関係なく選手に浸透している。相手やスコアに左右されず、最後まで切れずにプレーできるのはそのせいだろう。
「打ち合いになったら負けるのは仕方ない。いかに耐えて、少ないチャンスをものにできるか。今はもう、ルールもよくわからないうちから試合に出ることもあったり、本人たちも大変な思いをしていると思うんですけど、根気よく教えながら、野球知識も技能も恥ずかしくないレベルに持っていきたいと思います」(加藤監督)
今夏の関東学童は地元・群馬県の沼田市で開催される。8月半ばの本番まで、このような合言葉で練習に励んでいるという。
「相手はまだ分からないけど、群馬県でも注目されている。まずは1勝目指してがんばろうゼ!」